春の海という日本の誇る名曲を弾くことになっているので
何気なしに宮城道雄さんをYOUTUBEで検索していると、いくつも関連動画が出てくる。
とても便利な時代になったものだ。
聞けば聞くほどに、宮城道雄氏の音は、自分と箏、自分と音楽の間に距離がほとんど無く
余計なものが付随しない生の音楽だ。
まるで音楽を直に触っているような気さえおきる。
素晴らしい。
目がお見えにならなかったことも、この音には深く関係しているように思える。
見えない、ことは余計なものを見ない、ことに通じている。
余計なものを見ないことは
見たいものだけに全集中力向かうということ。
だから、見える、ことが見えない、ことより恵まれてるとか、そういう風にも一概に言えないのではないか。
これは、見えない、ことだけでなく
ほかの全てのことに関して云えると思う。
実は持ってる、ことがラッキーなことでもなくて
持っていないことが、イコール不幸なことでもない。
それぞれ
与えられた条件下で
描かざるを得ない自分の文様を描いていく。
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