Listen to myself

ふとしたきっかけで、以前に教えていた生徒さんが身体を壊していたと知った。

楽器を弾く姿勢だけが原因ではないそうだけれども、一因となったことは否めない。

彼女を教えていた当時は、それほど自分でも「立ち方」を確立していたわけでもないし、

今ほどには踏み込んで口うるさく言わなかったし、、、

自分にもその責任の一端はあるような気がして、何だか申し訳がない。

 

しかし、何事も経験の一つだとこの体験をプラスに転換し、

この際、身体の動きを分析、マスターしてスペシャリストになって欲しい。

こういう時間がかかる問題に当たった時に、「この子は楽器を辞めちゃうんじゃないだろうか、、」と思わせる人たちもいるけれど

彼女は何よりも音楽が好きだし、ガッツがあるので、必ずやってくれると思う。心配はしていない。

大きく育ってくれることを楽しみに待っています。

 

 

自分に置き換えて、

いろんな本を読んだり、話を聞いたりして、他の人のアイデアを知ることはできるけれども

立ち方や体の動かし方にも、単に筋肉や骨の動かし方だけではなく、心や知性も関与する「個性」が顕われる以上、誰のやり方も鵜呑みにすることは出来ない。

楽器を弾くのは運動の効率性だけではなく、共感を呼ぶ再現運動でもあるのだ。

 

また、こちらの方がいくら真実に近い、という「方法」があったとして、その「方法」を生かせる身体の柔軟性や筋力などの「準備」が出来ていないと、その真髄は正確に伝えられない。

その「準備」のために別の運動をしてそこに必要な柔軟性や筋力を鍛えるようにしても、その筋肉を使う「意味」がわからない者に、正確に運動の真意は伝わらないと思う。

 

見えている者は、見えていない者を、正解の道のごく近くまで引っ張ってくることは出来ても、そこまで、だ。

最終的な答えは長い時間をかけて自分で見つけ出すしかない。

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない、だ。

むろん、見えてない者には、同じく見えていない者をそこまで引っ張ってくる力も無い。

 

 

 

答えは「今の状態が表れた音」と、それを「受け止める、聞く耳」と、「現在」の自分の身体の中の声を聴きながら、雑音がない「理想」の方向へと探り探り進むしかないように思う。

まるでヨガのようなことをしています。

 

 

いつかは完成するのだろうか。

私も頑張ろう。