求めているものは、相反するエネルギーがせめぎ合うギリギリの線上にしか無いのでは、
と、最近思うことが多い。
自我に近い愛、いわば愛情の押し売りスタイルと
ありのままの姿を受け入れる、相手に過度な期待はしないというスタンス。
どちらに偏っても真実の姿は見えなくなる。
対象が作品であれ、生徒さんであれ、人間関係であれ。
身体やフォームを整えるのは、目に見えるもの相手だからまだ簡単だ。
重力と自分の身体と、うまく付き合えさせれば良い。
しかし、愛が生み出される肝心の「心」は目に見えない。
油断すると感情は一瞬のうちに凪から嵐に変わり、という変貌を遂げる。
そこまで酷くはなくとも、澄んだ心の状態を常に保つのは難しい。
だからこそ
歴代いろんな人が色んな挑戦をしてきたわけだけれど。
凡人には答えは遠い。
ところで
時に、何かのご褒美のように
相手に伝わったな、とジーンと感じられる「おまけ」が付いてくる。
そのお題が「見えないもの」であれば喜びもひとしおだ。
だからこそ、やめられない。
偏っていようが
根本に「愛」がなければ
真実には届かない。
↓
しかし、その「愛」をより歪みのない大きなものへと整えたい、、
↓
冒頭へ
とくるくる、同じところを廻っている。
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