熊野・新宮でのコンサートが終わりました。
このHPにブログを書きはじめた頃から特に、
不思議にいろんな人に出逢わせてもらう機会に次々恵まれて、
そして同時に、
わたしの人生で一番関わりがある人、母を失う、という体験も重なりました。
と、ここに書きつつ、
母はこの世から亡くなったけれど、関係が変化しただけで、決して母を失ったわけじゃないんだなぁ、と思う。
この数ヶ月でモノの考え方、感じ方がまるで変わったことを実感しています。
音楽は心ととても密接にあるものだとは、分かっていたつもりだけれど
母が亡くなってしばらくして、
大勢で弾く音楽はともかく、
独りで音楽と向き合う自分の音が、なんて寂しい音なんだ、どうしてこんなに心をえぐるというか、さらけだす辛い職業なんだ。こんなので以後、音楽活動を続けていけるのか、と正直不安に思うこともあった。
しかし、サイトウキネンで世界中から集まってくる音楽仲間の姿や、大先輩、素晴らしい音楽家の後ろ姿を間近に見させてもらったりして、
音楽に個人的感情をのせることは、人間だから仕方のないこととはいえ、それは全く不必要なこと、ナンセンスで、
美や芸術はそういう個人の感情の重さから完全に離れたところに存在するからこそ、
その美しさに大勢の人の心が救われる要因がある、と思う。
数ヶ月経った頃に夢を見て、
そこは藤色よりも、もう少し水色がかった、ただ空間だけが広がっていて、
何の音もせず、匂いもしなかった。
姿はないけれども、わたしがいる。
それも自分の中に信じられないほど「不安」というものが一切無い「平安」な状態で(普段不安を抱えて生きている自覚はないけれど、あれほど安らかな心でいられたことは無い)
その薄紫の世界の中で、わたしはどこかに行こうと念じれば、すぐに移動が出来たし、自分の存在を大きくすることもできれば、小さくすることも可能で、完全な「自由」だった。
「平安」と「自由」というものは、背中合わせに存在するものだ。
きっと、母が行った場所は、そういう所なんだと思う。
ならば、「死」というものに冷たいとか、暗いとか、重いイメージをつけてしまった要因は、残されてこの世に生きている私たちの寂しさや命が消える時の苦闘を目撃したこと、骨になったり、姿が変わっていく様子による勝手な印象であって、
「鎮魂」とよくひとは言うけれども、
鎮めるべきは、生きている我々の、ざわつく魂の方であり、
わたしは生きている人のために、楽器を弾こう、音楽をしようと思った。
ここまでが、今回、新宮への、母を偲ぶコンサートに出掛ける前の、わたしの考えていたことだけれども、
旅に出て、いろんな人に会って、またいろんな事を話し、
縁のある特別な教会で弾くということで、直感もあった。
わたしの音楽を聴いていたのは、生きている人ばかりじゃない。
この世から亡くなった人も、魂が消えてしまったのではなくて、
その場にいた皆がそれぞれに思い出していたからかもしれないけれど、集っているイメージが演奏中降りてきた。
あと、
これは一世一代のいたずら、というか、「お伺い」をたててみたのだけれど(ふふふ)
弾いているのは、生きている「わたし」なんだと実感した。
あちら側の人が、(あまりにイタコちっくに)わたしになにかを弾かせているわけではない。演奏には確かにそういう面もある。
もちろん、わたしの中に彼方と通じる道はあるけれども。
彼方側のひとたちも、黙って聴いてくれているのを感じて、そうかぁ!と自分のエネルギーの向け方について閃きをもつことができた。
生きても死んでも、「わたし」は「わたし」なんだ。
(当たり前のことを何度も確認している)
自分の魂のエネルギー、パワーをもっと信じて、育てていこうと思う。
寂しいけれど、あまり寂しくない。
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