humanity

どんな人もヴァイオリンの名人に育てます、と大きな看板を出しているわけではないけれど、

縁あってわたしのところに習いにくる人たちがいる。

子どもが多いけれども、年齢は問題ではない。


教える、っていう時間、わたしは何の作業をしているのだ?と振り返れば、

結局はその(生徒さん自身の)人間性に向き合うことほかならない、とますます。つくづく思う。

 

その人自身の世界の観方。

美しい理想をイマジネーションして

現実の自分が出す音、世界を冷静に顧み、その両極の距離、ギャップを縮めていく。

そしてその創り出した世界を、聴いている人たちと共有しなくてはならない。

 

技術はそのためにある。

 

 

ひとりひとり得意分野と苦手なこと、みたいなパターンがあって

自分だけのことでは思いもつかなかった問題にあたったりして、

なかなか興味深い。


 

美しい世界?、と想いもかけない難問を前に考え込む個性もあれば、

そこはnaturalでも、自分を冷静な眼、客観的立場で眺めるのが課題、っていう人もいる。

 

だいたい自分をありのまま観る、ってことが一番難しい。

でもそういうのに長けた才能ある人もいるし、音楽家は色んなところで色んな個性の人と出会えるから面白い。

 


ものを、世界を本当に観るには

呼吸が詰まっていれば小さくしか見えないし、

身体の状態と心の自由さというのはリンクしているので、

身体的にも滞るところが無いようにつなげていかなくてはならない。

 

その身体的トレーニング方法、メソードを教わりたい、って人もいる。


 

先生といっても、

その問題を解く、乗り越えていくのは、その生徒さん自身であって

わたしに出来るのは、その解決法を案内しながら、刺激していくぐらいだ。

耳を開く手助けしか出来ない。

 

謎を探求するのは結構好きな性質なので、程よい立場で楽しませてもらっているけれど。

(自分の問題だったら、決して楽しむ余裕はない。)

 

 

 

 将来、皆が皆、音楽家になるとは思わないけれど

きらきらとした人間性を持つ個性に出会えることが多い。

 

 

今、ヴァイオリン、上手い、下手ではなくて、

その輝きに負けないくらいの人間でありたい、と思う。

 

実はわたしが長ーいレッスン、受けてるのかもしれない。